2018年1月29日

石見銀山への道 ④津和野城跡と永明寺

堀庭園を後に津和野城跡へ向かいます(平成29年11月中旬、島根県津和野町)。
津和野城跡(国史跡・日本百名城)へは、山麓の駐車場(無料)から観光リフトを利用します(往復400円。30年前にも乗った記憶がありますが、その頃と変わらず稼働していることに驚きました。)。
リフトの終点から城跡までは、尾根道を歩くこと約15分。
アップダウンのやある結構きつい道ですが、たどり着いた城跡は紅葉に染まっていました。

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さらに本丸跡まで登ると、そこには絶景が!

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(写真は、津和野城跡から望む城下町と青野山)
津和野城を、現在みられるような山上に石垣が連なる近世城郭としたのは、関ヶ原合戦後に城主となった坂崎直盛(出羽守)です。
彼は、西軍の副将・宇喜多秀家の従兄弟でした。しかし、関ヶ原の直前に発生した御家騒動(宇喜多騒動)の際に秀家と決別し、東軍に味方します。
その報償として、彼は津和野城主(3万石、大坂の陣後に1万石加増で4万石)となりました。
ただ、激情的な性格は治らなかったようで、千姫事件の責めを負わされ、切腹・改易という最期を迎えました(千姫事件の真相については、諸説あります。)。
津和野城の壮麗な石垣群を見るたびに、それを山上まで運ぶことを命じた坂崎直盛の性格というものを考えてしまうのです。
閑話休題。
立ち去りがたい城跡ですが、本日中に益田を経て、本日の宿のある温泉津(ゆのつ)温泉まで行かねばなりません。
リフトを下り、山麓の駐車場から車で約5分。
城下町津和野の最後に、永明寺(ようめいじ)を訪れました(不定休、拝観料300円)。

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この寺も、紅葉に染まっていました。

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美しい庭園もあります。
永明寺は森鴎外の墓があることで知られていますが、前述した坂崎直盛の墓(下の写真)もあります。

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ただ、幕府を憚ったのでしょうか。
墓石には、坂崎ではなく、「坂井」と刻まれていました。
〔⑤益田の雪舟庭園(医光寺・万福寺) へ続きます〕


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