2018年1月28日

石見銀山への道 ①大内氏遺跡(凌雲寺跡・龍福寺)

平成29年の紅葉の季節に、山口から津和野、石見銀山を経て奥出雲まで、3泊4日の旅をしました(平成29年11月中旬)。
山口宇部空港に降り立ち、レンタカーを調達して、まずは凌雲寺跡へ。
大内氏の最盛期を築いた大内義興の菩提寺です(山口市、国史跡)。

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(写真は、凌雲寺跡の石塁から南方を望んだもの。)
凌雲寺跡は山口市街の西北、R435が山峡に分け入る辺りにあります。
4~5台駐められる無料駐車場から、案内表示に従って小道を辿ると、城郭土塁かと見まがう高さの台地が現れます。
この台地上に登ると、大内義興の墓があります。

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端正な美しい宝筐印塔です。
大内義興は、防長(現在の山口県)を中心に、中国地方西部から九州地方北部を支配した戦国大名。
1507年、京を追放され流れてきた室町幕府10代将軍・足利義稙を擁して上洛し、その後約10年間、管領代として義稙政権を支えました。
大内義興の墓から台地上の道を徒歩で進むと、道を遮るように、一条の石塁が現れます(冒頭の写真)。
凌雲寺の惣門跡と云われています。

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巨石で構成されており、風格も抜群。
もはや完全に城郭(城郭寺院)といってよいでしょう。
しばし、余韻に浸った後、山口市街にある龍福寺へ。
ここは、かつての大内氏館跡です(国史跡)。

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(龍福寺は30年ぶりの再訪。山門前の紅葉が見頃を迎えていました。)
数次にわたる発掘調査を経て、当時の庭園や門などが復元されています。

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(写真は、復元された大内氏館の西門)
戦国大名・大内氏の富の源泉は、今回の旅で訪れる石見銀山から産出される銀や、明・朝鮮との交易にありました。
そうして栄華を誇った大内氏も、義興の子・義隆の代で重臣の陶晴賢に背かれ、突如として滅亡してしまうのです。

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〔②瑠璃光寺五重塔と常栄寺庭園 へ続きます〕


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