2017年11月5日

北信州の秋 ③小布施の北斎館と岩松院

2日目の朝。
七味温泉から松川渓谷を下って、小布施の街へ向かいます(平成29年10月下旬、長野県小布施町)。
小布施は約30年ぶりの訪問です。
比較的空いている東町駐車場(3時間100円)に車を駐め、隣接する北斎館へ(高井鴻山記念館・小布施ミュージアムとの三館共通入場券1300円、三館とも12月31日休)。
同期のT先生のリクエストでした。

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(写真は、北斎館正面玄関通路の壁オブジェ。ここまでは写真撮影可です。)
富嶽三十六景等の木版画で有名な葛飾北斎は、80代半ば、小布施の豪商・高井鴻山の許をしばしば訪れ、数々の名画(天井絵・肉筆画等)を残しました(公式パンフより)
北斎館が所蔵する名画の筆頭は、東町・上町祭屋台の天井絵でしょう(東町祭屋台の「鳳凰」「龍」図、上町祭屋台の「男浪」「女浪」図=「怒濤図」)。
いずれも、祭屋台の豪華な装飾・彫刻群を引き立てる迫力ある名画です。
特に、「怒濤図」は、富嶽三十六景の一つ「神奈川沖浪裏」図と波頭が酷似しており、興を惹かれました。
続いて、すぐ近くの高井鴻山記念館へ。

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豪商・高井鴻山は、北斎の小布施におけるパトロン的存在でした。
展示されていた鴻山の文書には、「画狂老人卍(=北斎)は、前触れもなくやって来て、何も告げずに去って行った」旨の記載があり、その親交の程が伺えます。
鴻山は、幕末の思想家(攘夷・公武合体論者)でもあり、佐久間象山(松代藩士)や勝海舟(象山の義兄・幕臣)とも親交がありました。
彼らとは、書斎「翛然楼(ゆうぜんろう)二階奥の間で語り合ったそうです(公式パンフより)

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共通券があったので、小布施ミュージアムも訪問しました。
中島千波画伯の桜の図の数々や、5つの祭屋台などを展示する美術館でした。

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昼食は、北斎館前の「富蔵屋」で、コシのある新蕎麦(手打ちざる蕎麦)を。
余談ですが、当店での入店待ちの間、テレビで「○ディーレ」のCMが流されていました……。
最後に、小布施の郊外にある岩松院へ (拝観料300円、法要・行事日休)。
北斎によって本堂天井に描かれた「八方睨み鳳凰図」を拝観してきました。
昔は、畳に寝転んで拝観できたのですが……。今は、椅子から見上げる形になっていました。
なお、当寺には、福島正則の霊廟(墓)も残されています。

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彼は、秀吉子飼の大名で、関ヶ原での家康(東軍)の勝利にも大いに貢献しましたが、幕府の謀略によって広島49万8千石を改易され、この地に4万5千石で国替えになりました。配流同然の扱いで、その後間もなく、悲運の内に亡くなっています(合掌……)。
〔④上林温泉「仙壽閣」 へ続きます〕


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