2016年5月23日

紀の国の庭園 ⑫高野山奥之院(後編)

奥之院も、いよいよ御廟に近づいてきました(平成28年5月上旬)。
Ⅹ 崇源院(お江)供養塔

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崇源院とは、徳川秀忠夫人・お江です。隣には、娘の千姫供養塔もあります。
崇源院供養塔は「一番石」 、すなわち奥之院最大の墓塔です。
ⅩⅠ 結城秀康石廟(重文)

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家康の次男・秀康の霊廟です。大変珍しい石廟、それも越前の笏谷石(しゃくだにいし)製で、地蔵菩薩等の浮き彫りが見事です。
ⅩⅡ 豊臣家供養塔

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流石、天下人の家だけあって、墓域スペースが他を圧倒しています。
墓碑銘から、秀吉の母・なか、弟・秀長らの供養塔は特定されているそうですが、前述した経緯から(【3日目 ③光臺院庭園】)、甥・秀次の墓は含まれていません。
ⅩⅢ 木食応其上人廟

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秀吉による紀州攻めの際に降伏し、高野山を戦火から救ったのが木食応其(もくじきおうご)です。その後も、関白秀次の切腹や、関ヶ原合戦(安濃津城と大津城の開城交渉)の際に活動がみられるなど、桃山期の高野山を代表する人物でした。
メインルートを御廟橋に向かって右に分かれる道沿いにあります。
ⅩⅣ 織田信長供養塔

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御廟橋の目の前(やや左に入った場所)に、比叡山を焼き、一向一揆を鏖殺し、さらには高野聖をも惨殺した信長の供養塔があります。
これも敵味方供養の精神でしょうか……寛大すぎます。
なお、向かって左側には、大和の戦国大名・筒井順慶の供養塔が並んでいます。
ⅩⅤ 御廟橋と「生身供(しょうじんく)
御廟橋を超えると、弘法大師御廟を含む特別な聖域のため、写真撮影不可となります。
弘法大師・空海は今も生きていると信じられているので、毎日午前6時と10時半の2回、食事が供えられます。これを「生身供(しょうじんく)」と云うそうですが、ちょうど運良く、10時半の回に遭遇しました。

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灯籠堂内と弘法大師御廟前では、さすがに厳粛な気持ちになります。

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(写真は、御廟橋の架かる玉川に供えられた水卒塔婆)
今回紹介した他にも、伊達政宗供養塔、佐竹義重廟所、前田利長供養塔、法然上人供養塔、浅野内匠頭供養塔など、奥之院には見所が無数にあります。
奥之院を後に、いったん千手院橋まで戻り、昼食+荷物回収後、山内バスで再び「奥の院前」バス停へ。
ここから関空行きのリムジンバスに乗車するためです。
平成28年4月に新設されたばかりの路線(1日1往復)で、PR不足のせいか、当便の乗客は橙を含め僅か2名でした……
しかし、高野山と関空を乗換なしの1時間30分で結ぶリムジンバスは便利で快適(*^o^*)
ネット予約も可(割引あり)なので、多くの高野山ビジターに利用していただきたいと願います。
〔紀の国の庭園 終〕


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