2016年5月22日

紀の国の庭園 ⑪高野山奥之院(中編)

御廟へ、老杉の茂る道を進みます(平成28年5月上旬)。
Ⅵ 石田三成供養塔(写真上)、明智光秀供養塔(写真下)

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戦国の代表的敗者が、指呼の間に供養されています。
敗者も勝者と等しく供養されている点(敵味方供養)が、高野山奥之院の特徴です。
Ⅶ 本多忠勝供養塔

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徳川四天王・名槍「蜻蛉切」などで知られる本多平八郎忠勝の供養塔です。
彼の墓は、三重県桑名市や千葉県大多喜町にもあります(いずれも、忠勝の所領だった場所)。
「真田丸」で藤岡弘、さん演じる忠勝は愛嬌があっていいのですが、家康(内野聖陽さん)よりも若かったはずなのに……
Ⅷ 中の橋(汗かき地蔵・姿見の井戸)

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中の橋は一の橋と御廟橋の中間地点です。
ここにある「姿見の井戸」に自分の姿が映らないと3年以内の命と云われていますが……
水面があるので、通常は映ります。
なお、この先の「覚鑁坂(かくばんざか)」で転ぶと、やはり3年以内の命だそうです。同じような言い伝えは、京都の三年坂にもありますね。
Ⅸ 高麗陣敵味方戦死者供養碑

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薩摩の島津義弘・忠恒(家久)父子が、慶長4年(1599年)、文禄・慶長の役(「唐入り」、朝鮮出兵)の戦死者を、敵味方を問わず供養したものです。
島津家は、他にも、多数の戦死者を出した古戦場に敵味方供養塔を建立しています(vs伊東家の木崎原古戦場、vs大友家の宗麟原古戦場等)。
「唐入り」のケースでは、朝鮮に建立する訳にもいかないので、敵味方供養の精神で共通する高野山奥之院に建立したものでしょう。
〔⑫高野山奥之院(後編) へ続きます〕


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