2016年4月7日

花咲く秩父路 ⑤福徳寺阿弥陀堂と能仁寺庭園

秩父路を後に、R299経由で帰途につきます(平成28年3月末)。
途中、飯能市内にある2つの寺に立ち寄りました。
まずは、東吾野駅近くの福徳寺へ。
阿弥陀堂は埼玉県内最古の木造建築物といわれており、国重文に指定されています。

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ずいぶんと久しぶりの訪問です。
お堂の上にはしだれ桜があるのですが、見頃までもう一息といった感じでした。
続いて、天覧山の麓にある能仁寺へ。

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能仁寺には、桃山時代の作と伝わる見事な池泉鑑賞蓬莱庭園があります(庭園拝観料300円)。
天覧山の南斜面を巧みに取り入れて、背後に枯滝を組み、下部を池泉としています(公式パンフより)

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個人的な感想ですが、京都・智積院の庭園に似ていると思いました(縁の下まで池はありませんが……)。
能仁寺の裏山にあるしだれ桜です。見頃を迎えていました。

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桜の傍らには、中山勘解由(かげゆ)家三代の墓があります。
なかでも中山家範は、八王子城主・北条氏照の家老で、小田原征伐(天正18年・1590年)の際に同城で討ち死にを遂げた武将です。
これに感動した家康によって、その遺児達は直参旗本や水戸藩家老に取り立てられました。

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家康には、苦労人であるせいかそういうところがあって、たとえ敵対勢力の家臣であっても、忠臣やその子孫は、積極的に取り立てています。
武田勝頼に最期まで忠義を貫いた土屋惣蔵の遺児(忠直。子孫は土浦藩9万5千石など)をはじめ、小田氏治の忠臣・菅谷氏(直参旗本に取り立て)、深谷上杉氏の家老・秋元氏(後に譜代大名)、関ヶ原で敵対し一度は改易された立花宗茂(旧領の筑後柳川に復帰)など、枚挙にいとまがありません。
反面、主家を裏切った者(福島正則、藤田信吉、石川数正の子など)については、たとえ味方になろうと容赦がないのですが‥‥。
閑話休題
能仁寺は、飯能戦争の舞台でもあります。
幕末の慶応4年(1868年)5月、彰義隊の分派「振武軍」(参謀:渋沢平九郎。なお、平九郎は渋沢栄一の養子でした。)が新政府軍と飯能で戦ったもので、その際、能仁寺の伽藍も消失してしまったそうです(公式パンフより)
これにて今回の小旅行はお仕舞い。
圏央道・狭山日高ICから、関越道・外環道・首都高を経由して、無事帰京しました。
秩父路は風景も人も優しいですね。
心身ともにリフレッシュできたので、即日本業に復帰しました。


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