2015年5月8日

義烈千秋紀行【匝瑳・行方編】 ②大山守大塲家郷士屋敷

大山守大塲家おおやまもり おおばけ郷士屋敷です(日月金休、行方市玉造)。

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「大山守」とは、水戸藩の職制で、20数カ村の藩有林を管理するとともに、各村の庄屋の上に立ち、勧農・徴税・訴訟・治安等、広域にわたる藩行政にたずさわりました。
水戸藩主が藩内を巡視する際の旅館にもなり、義公・徳川光圀も立ち寄っています公式HPより
なるほど……陣屋級の構えであるのも、理解できます。

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屋敷の裏には、玉造郷校跡があります。玉造における天狗党の拠点でした。

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新選組初代筆頭局長・芹澤鴨の生家です(行方市芹沢)。
大河ドラマ「新選組!」では、佐藤浩市さんが怪演されていましたね。

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ところで……芹澤鴨も、かつては天狗党の一員でした。
近くには、新選組芹澤派隊士・平間重助の生家跡もあります。
非常に目立つので、迷うことは無いかと……。

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法眼寺にある芹澤鴨・平間重助の顕彰碑です。近年建てられたようです。

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天狗党幹部・竹内百太郎の生家です(茨城県かすみがうら市)。

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竹内百太郎は、「義烈千秋 天狗党西へ」(伊東潤 著)では、藤田小四郎の親友として描かれています。
彼も、敦賀で同志達と運命をともにしています。
土浦ICから常磐道で帰京しました。
〔義烈千秋紀行【匝瑳・行方編】 終〕


4 thoughts on “義烈千秋紀行【匝瑳・行方編】 ②大山守大塲家郷士屋敷

  1. やまばとさん、週末の仙台・蔵王はいかがですか。
    東昌寺には行ったことがありませんが、北山に連なる寺院群の一ですね。
    ご指摘のとおり、中世からの伊達家の菩提寺で、伊達家の本拠地移転とともに、伊達郡桑折→米沢→岩出山→仙台と移転したようです。

  2. こんにちはさん。コメントありがとうございます。
    確かに、新たな一次資料の発見や従来の資料価値の見直しによって、新選組の様々な「通説」も揺らいでいますね。池田屋事件での山崎烝の活躍や、三条制札事件への永倉と島田魁の参加等々。
    芹澤鴨の出自については正直疑問を抱いていませんでしたが、こういうところが歴史の面白さだと思います。

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