2015年5月28日

護国寺と椿山荘

一眼レフを買い替えたので(NikonD90→D610)、どこぞへ試写に……。
近場の護国寺と椿山荘を訪ねました(東京都文京区、平成26年9月中旬)。
護国寺は、犬公方こと五代将軍綱吉が生母・桂昌院のために創建した寺院です。
音羽通りが不忍通りに突き当った先が、護国寺の仁王門。
近くの高校に通っていたので、懐かしい風景です。

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珍しい鉄製手水鉢です。創建当時(元禄期)のものとか。

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本堂(重文)です。こちらも元禄期の建物です。

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境内には、園城寺(三井寺)から移築された月光殿(重文)もありますが、非公開です。
明治になって徳川家の庇護を失った護国寺は、新たなスポンサーを探します。
利害が一致したのが、維新の元勲達。そのため、護国寺には彼らの墓が多数存在します。
① 三条実美
攘夷過激派公卿の筆頭。仲間(姉小路公知ら)が次々と非業に倒れる中、幕末を生き抜きました。
彼のイメージは、歴史が回転する瞬間、そこに居るというものです(功山寺挙兵、征韓論争等)。
なお、今年の大河「花燃ゆ」では上杉祥三さんが演じています(この人、昨年の大河でも見たような……)。

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② 大隈重信
言わずと知れた早稲田大学の創設者。佐賀藩出身。主に外務・大蔵畑で豪腕を振るい、失脚も経験しましたが、総理大臣に上り詰めました。

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③ 山田顕義
こちらは日本大学の創設者。長州出身の軍人で、渾名は小ナポレオン。
西南戦争でも会津藩元家老の山川浩を目の敵とするなど活躍しますが、生野銀山の視察中に謎の死を遂げました(生野は、彼の又従兄弟・河上弥市が生野の変を起こし自刃した地でした)。

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④ 田中光顕
土佐の郷士出身で天誅組幹部・那須信吾の甥。維新後は宮廷政治家として権力を振るいました。短編「浪華城焼打」「最後の攘夷志士」(司馬遼太郎著『幕末』収録)の主人公で、これを読むと、如何に彼の運が良かったかが解ります。

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⑤ 山縣有朋
暑さのためか墓参し忘れました。いずれまた……。
続いて、椿山荘へ向かいます。
ブライダル等で知られる高級ホテルですが、庭園は無料で見学できます。
椿山荘の象徴・三重塔です。広島県の竹林寺から移築されたものです。

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椿山荘の前身は、山縣有朋の邸宅です。
彼は帝国陸軍を築いた男ですが、この椿山荘や京都・無鄰庵の庭園をプロデュースするなど、この方面でも高い能力を有していました。

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庭園内の「無茶庵」で蕎麦を食し、ゆるゆる帰途につきました。


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