2015年5月21日

真夏の伊達紀行【3日目 石巻と登米の史跡】

3日目。三陸道で石巻へ向かいます。
かつて本業で訪れた石巻市内は更地が目立ちました……。
本日は、月の浦(宮城県石巻市)から。
慶長遣欧使節のリーダー・支倉常長の像です。彼は、サン・ファン号に乗船し、月の浦を出航しました。

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しかし、彼が大役を果たして帰国した日本は、既に鎖国と禁教の時代でした。
続いて、宮城県慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)を訪ねます。
津波で大破したサン・ファン号も、見事修復されていました。

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慶長遣欧使節関連の資料展示のほか、サン・ファン号の内部も見学できます。
また、「サン・ファン シアター」は、映像に合わせて席が上下左右に揺れるというアレで、なかなか楽しめました。
三陸道を北上川沿いに北へ。
伊達小次郎の墓を訪ねます(宮城県登米市津山町)。

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彼は、小田原参陣の直前、伊達家を割らぬため、兄・政宗によって斬られました。「独眼竜」でも指折りの名シーンです。
ところで、会津で斬られた小次郎の墓が、何故、この地にあるのでしょうか。
この地が後に母・保春院(「独眼竜」では岩下志麻さん)の化粧領となり、改葬されたと云われています。
登米(とよま)の街に入ります。
余談ながら、平成の大合併で登米市(とめし)になる前は、登米郡(とめぐん)登米町(とよままち)でした。
まず、覚乗寺高台院霊屋(かくじょうじこうだいいんたまや)へ。
政宗の孫の一人、登米伊達家・宗倫(むねとも)の霊廟です。

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武家屋敷(兼お休み処)の春蘭亭(しゅんらんてい)です。
映画「必死剣鳥刺し」(原作:藤沢周平、主演:豊川悦司さん)のロケ地にもなりました。

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教育資料館(旧登米高等尋常小学校、重文)です。

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登米の街には、美しい建物や町並みが随所に残っていました。
本日は、鳴子温泉郷・川渡(かわたび)温泉の「旅館ゆさ」泊。
到着早々、もぎたてのミニトマトを振る舞ってくれるなど、アットホームな宿でした。
単純温泉(低張性弱アルカリ性温泉)の源泉かけ流しで、特に貸切露天岩風呂が気に入りました。
(4日目へ続きます)


2 thoughts on “真夏の伊達紀行【3日目 石巻と登米の史跡】

  1. 鶏刺しは、元々は南九州の食文化でしたが、一昔前の芋焼酎ブームのおかげか、全国区になりましたね。

  2. やまばとさん、いつも秀逸なコメントありがとうございます。映画で最後に明かされる鳥刺しも見事でしたので、是非こちらも。

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