山陰粧う ⑤深田氏庭園、米子城跡と玉造温泉「湯元玉井館」
大山から県道24号の坂を一直線に下り、米子市内へ(平成28年11月上旬)。
まずは、深田氏庭園を訪ねます(鳥取県米子市、国名勝、庭園維持管理費250円、要予約)。
山陰最古(鎌倉時代)と云われる池泉鑑賞式庭園です。
鶴島、亀島、三尊石を備える古風な庭園で、京都南禅院庭園との類似性も指摘されていますが、とにかく美しい……。
深田家当主御母堂様による名文の録音解説を聴きながら、いつまでも此所にいたい気持ちになりました。
続いて、米子城跡へ(国史跡)。
車は城跡北側の湊山公園駐車場(無料)に駐め、そこから登城するのが便利です。
整備された道を10分ほど登ると、見事な石垣群が迎えてくれます。
かつて2つの四重天守が聳えていたという天守台からは、中海や大山の絶景が広がります。
これ程素晴らしい城なのですが、日本100名城には含まれていません。
ふさわしくない100名城(根●半島チャシ跡群、吉●ヶ里遺跡等)と入れ替えて欲しいほどです。
この米子城では、江戸初期(慶長8年=1603年)に一つの悲劇がありました。
若き藩主・中村一忠が取り巻きに唆され、筆頭家老・横田内膳(村詮)を謀殺したのです。内膳は家康の信任も厚い名家老でした。
内膳の一族は決起しましたが、中村家は隣藩(月山富田城主)・堀尾家に助勢を求め、これを鎮圧しました(横田騒動)。
この際、柳生石州斎の四男(=宗矩の兄)・宗章も、内膳の義に殉じて切り死にしています。
中村家17万5000石は程なく改易されます。名目上は無嗣断絶でしたが、一忠には子がいました。
横田騒動が、家康の心証を害し、改易へと導いたことは明らかと思われます。
(写真は、米子城下・妙興寺にある横田内膳の墓)
さて、本日の宿は、玉造温泉「湯元玉井館」です(松江市)。
玉造温泉は二度目の訪問です。今回は、純和風旅館で、湯元、源泉掛け流しの当旅館を選択しました。
泉質は、「ナトリウム・カルシウム-硫酸塩・塩化物泉」。
さらっとした湯で、美肌成分と云われるメタケイ酸も多く含まれているため、肌がツルツルします。
流石「枕草子」にも謳われた名泉です。
入浴後、二階部屋の広縁から眺める玉湯川沿いの温泉街には、えも言われぬ風情がありました。
〔⑥雨の松江の庭園群 へ続きます〕