極上の会津へ【4日目 河井継之助記念館】
4日目。最終日です。
宿から約30分で、河井継之助記念館に到着(福島県只見町、300円、木休)。約20年ぶりの再訪です。
名作「峠」(司馬遼太郎著)の主人公・河井継之助終焉の地に建つ記念館です。
「峠」は、幕末に生きた最後の武士を描いた小説です。
継之助は、武士の時代が終わることを見通していたにも拘わらず、武士としての生き方に殉じました。
彼の選択は、結果的に長岡藩と領民を塗炭の苦しみに追い込みましたので、賛否両論があります。
しかし、当時、西軍(官軍)の軍監・岩村精一郎(高俊)は武装中立を主張する継之助に対して、無条件降伏+会津征討を強要していました。
少なくとも、友藩である会津を討つに忍びなかったという継之助の気持ちは理解できます。
その継之助が、北越戦争で重傷を負い、長岡から八十里越を経て、亡くなった地がここ只見町塩沢です。
(写真は、継之助が八十里越の後に立ち寄った叶津番所)
記念館内には、継之助が息を引き取った矢沢家(ダム建設により水没)の一部が、移築保存されています。
館内は写真撮影自由です。どんどん撮影させていただきました。
継之助の銅像です。
ガトリング機関砲(模型)です。
当時の日本に3門しかなかったうちの1門を継之助が購入しました。
要するに大型の機関銃です。
威力は凄まじかったようですが、砲手が敵前に曝されるという致命的な欠点がありました。
なお、横に立つ人物は継之助とのこと……。
衣装は高橋英樹さんが大河ドラマ「花神」(河井継之助役)で着用したものだそうです。
記念館の中庭(山塩資料館との間)には、「河井継之助終焉之地」の碑が建っています。
ところで、継之助の読み方は、「つぐのすけ」なのか、「つぎのすけ」なのか。
長岡藩は三河言葉を公用語としていたこともあり、説の分かれるところですが、私としては耳慣れた前者と信じたいところです。
記念館としては、両説紹介しながら、遺族の証言などから前者を採用していました。
記念館から徒歩5分で、医王寺に到着します。
ここには、河井継之助の墓があります。
荼毘に付された継之助の遺骨は、只見→会津若松→長岡と移動したため、各所にその墓があります。
しかし、終焉の地に建つこの墓が、一番趣を感じます(合掌)。
これにて、今回の紀行は終了です。
田島を経て、西那須野塩原ICから東北道で帰京しました。