景徳院 武田勝頼終焉の地
本業で山梨県に出張しました(平成28年2月中旬)。
帰途、大河ドラマ「真田丸」における武田勝頼公(演:平岳大さん)の快演ぶりが頭をよぎり、終焉の地・景徳院に立ち寄りました(山梨県甲州市)。
実に25年ぶりの再訪です。
当日は薄ら寒い日で、日陰には雪も残っていました。
武田勝頼の墓です。
妻・北条氏、嫡男・信勝、それに最期まで忠義を貫いた家臣達とともに葬られています。
合掌……。
ここで自刃したという「生害石」です。
こちらは、勝頼らの胴体を当初埋葬したという「没頭地蔵」です。
その名のとおり、……首が欠けています。
景徳院は、徳川家康が、勝頼主従の菩提を弔うため、建立した寺院です。
天正壬午の乱によって甲斐国を手に入れた家康としては、武田遺臣の心を掴むために、必要な措置だったのでしょう(「真田丸」でも、内野聖陽さんと近藤正臣さんが、そのような悪辣な会話をしていました。)。
景徳院の周辺には、勝頼の自刃の時を稼ぐために、織田(滝川)軍相手に奮戦した忠臣達(土屋惣蔵、小宮山内膳ら)ゆかりの史跡が点在しています。
(写真は「鳥居畑古戦場」)
25年前に訪れた際は、天目山で行われた大学サークルの合宿途中で、季節は夏の盛りでした。
駅から延々と歩いたことが懐かしく思い返されます(もっとも、企画者・橙の感想であり、他の参加者には不評だったかも知れません。)。
なお、景徳院の近く(R20沿い)には、「有馬晴信謫居(たっきょ)の跡」があります。
有馬晴信は、岡本大八事件(江戸初期の官僚汚職事件)の贈賄側大名として、ここに幽閉され、最期を迎えました。彼はキリシタンだったので、自刃ではなく、斬首を選択したそうです。
笹子峠を仰ぐ狭隘な土地で、不幸な最期を迎えた武田勝頼と有馬晴信……。
この地の悲哀さのようなものを感じました。
〔終〕